大学生ライトの日常 ~授業編①~ 司書課程のこどもと図書館について
こんにちは、ライトです。今回は私の大学での講義内容や課題内容について触れてみようと思います。
と、いうのもせっかく学習に関する活動しているのだから、少しでも勉強や学習に関する話を記事にし、自分のアウトプットの場にもしようかと書くことにしました。
大学の課題の合間に不定期で更新していくと思います。
勿論、著作権等色々あると思うので、講義の内容には大雑把に触れ後は私個人の体験談等お話しようと思います。
今受けている講義は司書課程の子どもの図書館利用や図書館・絵本や児童文学書など関わり方についての講義で
第二回は 現上皇后の美智子様がかつて皇后陛下時代に「子どもと本の関係」について自身の体験をお話してくれたエピソードについて
でした。
ブックスタートとは乳幼児に絵本などを読み聞かせることで子どもに早い段階から本に親しんでもらうことや親子のコミュニケーションを取る手段として以前から注目されており、家庭以外の図書館・幼稚園・保育園等での読み聞かせも含まれています。
そして、このブックスタートは0歳児から始めることができ、乳幼児は簡単な単語や図形のような簡単な形を好み理解できるため0歳児から始めることが大切だということから県や市町村は推進していることに触れ、第二回で上皇后陛下の幼少期にどのような本に触れどのような感情を持ったかという話を例に「子どもと本」の関係がどうあるべきかを考える講義内容でした。
上皇后陛下のエピソードは、
「子供の本を通しての平和」というインドでかつてあったイベントで放送された動画の内容で「デンデンムシの話・日本神話の本・英語で書かれた詩」など年齢によって様々な本や文学に触れて、人間の苦しみや悩みなど、美しいだけではない人間性について触れ学び、本から人間とは何か、生きるとは何かということについて学んだと語っているものでした。
私にも似た経験がある。
私は、別に人見知りという程のものでもないが、友人は少ない。
というのも、友人を作る過程が少しばかり面倒に感じてしまう時があるからだ。
あの、誰が決めたわけでも号令をかけたわけでもないのに仲良くなりたければ、ずっと一緒に居なくちゃいけないような空気感、苦手だった。
団体行動もできることなら、したくないと思う程、誰かにルールを決められ縛られるのが昔から嫌いだった。
とはいえ、学校や社会で団体行動をすることやルールを守ることは大切だと理解し納得もしていた為、ルールはきっちり守って比較的真面目なタイプであった。
ルールは守る。
でも、ルールやマナーや道徳的に悪い事でないなら自由でいたい。
そう思う私は、今年は友達多く作ろう!と思っても途中でやっぱり自分にはこの空気感合わないと感じ少数または1人でいることも多かったことから、いじめの対象になりやすかった。
小学校・中学校では、菌扱いや死ね・消えろ、無視など比較的軽度ないじめを数年間にわたって受けた。
最初は負けず嫌いでもあったため、言い返したりしていたが何を言っても複数人で寄って集って罵倒されては反論もなかなか大変だと気が付いた私は、ほとんどだれも寄り付かない図書館で逃げるように休み時間を過ごすこととなった。
司書教諭がいない日は図書室に入れなかったが、裏を返せば小さな小学校の図書室は常に司書教諭の目が行き届いた世界だった。
何度かいじめっ子たちは私を態々付け回し図書室までやってきて読書をしている私のよこで騒ぐなどしていたが、即効司書教諭に目を付けられ注意されたあげく図書室から追い出されるという扱いを受けていた。
図書室は司書教諭のいない日は立ち入れないため、私は常に本を借りておき、図書室が開かないときは教室で本を読んで過ごした。
本を読んでますアピールは非常に効果があり、やっかいな、いじめっ子も読書中だけはイジメてこなくなった。きっと、司書教諭から何人かのいじめっ子の主犯格がお灸をすえられていたからだろう(笑)
前置きが長くなったがこうして、別に好きでもない読書を習慣的にするようになり図書館にも定期的に足を運ぶようになったある日、運命的な出会いをする。
別に異性でもない。
ただ、自分の考えを変えてくれた本に出会ったというだけだ。
市の図書館の児童文学コーナーでブラック・ファンタジーの小説を小学校3・4年生の頃手に取ったことで私は本格的に読書にはまった。
今までは、ただのいじめっ子除けの暇つぶしでしかなかったものが趣味に変わった瞬間だった。その本に出会うまでは本は、自分のような凡人とは関係のない凄い人の体験談や青春・恋愛など一部の人間にしか存在しそうもないものを描いたファンタジー小説が大半だと思っていた。
キラキラしているのが、本の世界で自分のようなキラキラしていない人間は本の世界にはいない(主人公格として)だろうな~となんだか妙な擦れ方をしていた私にはダーク・ファンタジーの世界は衝撃的な世界だった。
本の主人公でも、青春や恋愛の悩み以外に悩むことあるのかと衝撃を受け、何だかんだと主人公は最終的にはハッピーエンドになると思っていた主人公が次々と予想を裏切って幸せになることはない本の世界に触れて、何故か救われたような感覚や奮い立たせてくれたような気がした。
上皇后陛下の「生きることは大変なのだ、苦しい事、不安なことなのだ」と知ったという言葉に同じものを感じた。
私は、良くも悪くも純粋な子どもに本に少しでも多く触れて貰うことは本を楽しむ機会を作るだけでなく、子ども自身が何か自分でも理解していないような複雑な感情を刺激し成長させてくれるチャンスが多く眠る場なのだと思った。
高校生から大学生になって今の生活を比較すると圧倒的に時間が減ったことがある。
その1つが『読書時間』
あんなに本を読むことにのめりこんだ私も、世間で騒がれているように”大学生になったとたんに読書量が減った”
以前は、少しの隙間時間があればすかさず読書に充てていたが、今は本に比べ圧倒的に軽く、より多くの情報に常に触れることの出来るスマホばかり使用している。
読書も、ラノベサイトの「小説家になろう」をインターネット検索し無料で小説が読めることから、常にスマホでラノベの生活になってしまった。
ラノベ以外ではニュース記事やネット記事以外、文章を久しく読んでいない。
でも、つくづく思うのはインターネット上の小説程間違いの多いものはないと感じる。
少し読めばわかるが書店に並ぶようなラノベは出版社が何度も校正し誤字脱字の訂正をし間違いを正した状態で社会に送り出されるが、どんなに面白く多くの読者がついているような作品でも誤字脱字が目立つ作品も多発している。
余りにも多いと10分~15分の読書時間中に3つ以上の書き間違いや言い回しの間違いに遭遇することもある。
勿論、今私が書いているこのようなブログ記事も誤字脱字が多発しているブログページも存在する。
話が脱線し長々と話したが、結局のところ『語彙力を増やしたいなら紙(売っているもの)を読め』ということだろう。
勿論、誤字脱字以外にも事実とは異なる情報もあることからネットで情報を得て知識を身につけるのも余り過信しない方が良いということも言うまでもない。
あくまで、基本的にネットはある程度正しい基礎的な国語力や知識を身につけたうえで娯楽や確認のため使用する程度が良いのかなと思いました。
そして、そのある程度の国語力や知識を学ぶためにはやはり学校教育は勿論のこと自力で学ぶ、読書することも非常に大切になってくると改めて感じました。
私はノンフィクションは基本的に興味が昔からあった自然科学分野以外は苦手?(あまり好きではない)ため、小説などフィクションで育ってきました。
けれど、結果としてノンフィクションを楽しんで読めるなら話は別ですが、読書自体が好きではない子にはフィクションを楽しんでもらうだけでも十分なのではないかと考えています。自分が母となった時はフィクションをまず薦めると思います。
長々と失礼しました。
お付き合いいただき、ありがとうございました。